岐阜在住、NTさん(2006年2月取得
- SIR (Provisional) Subclass 495
この度、2006年2月16日に三原さんから待ちに待っていた1通の知らせが届きました!SIRビザ取得の報告メールでした!
思い起こせば、私が初めてレイカさんにメールをしてから約3年の年月が流れていました。レイカさんとのビザ申請の長いようで短く、短いようで長かった不安と期待一杯のスリリングな体験をちょっと書かせていただこうと思います。
私は学生時代をオーストラリアで過ごし、オーストラリアで大学を卒業しました。その当時からオーストラリアに移住出来たらいいなぁ…なんていつも軽く考えていました。若かったからなのか、私がのんびり屋なのか、Hospitality Managementを専行していた私は、大学を出てそのままオーストラリアのホテルとかに勤めれば何とかビザを取得出来るだろう…なんて軽い気持ちでいました。
しかし、もちろん現実はそう甘くはありませんでした。晴れて大学を卒業したけれど、学生ビザだった私にオーストラリアでの就職のあてがある訳がありませんでした。(RESUMEを色々なホテルに送りましたが、返事が無い所もありましたし、来てもすべてダメでした。オーストラリアで働ける権利のビザを取得してからまた連絡下さいとの返事が大部分でした)
学生ビザが切れてしまった私は、とりあえず一旦日本に帰国。そして、ワーホリビザを取得して何とか向こうでワーキングエクスペリエンスを積んでその会社でビジネスビザをスポンサーしてもらえたら…なんて甘い事を思い、もう1度すぐに渡豪しました。でもワーホリのビザはご存知の様に同じ会社に3ヶ月以上勤める事が出来ませんし、ワーホリのビザで雇って頂ける現地のお仕事の大半が日本食レストランや、日本人経営の旅行会社・留学サポートエージェントでのバイトのお仕事でした。もちろん一切職歴も無い、社会も知らない現実離れした私にそんな簡単にビジネスビザをスポンサーしてくれる会社がある訳がありませんでした。
その当時既に26歳だった私は、焦りもありましたし、現地のビザエージェントに永住権を取得できる可能性があるのかと相談に行きました。 答えはNOでした。可能性も低いとの事。当時永住権申請には110ポイント必要だったのですが、私は105ポイントしかなく、あと5ポイントがどうしても足りないよ・・との事でした。その時、初めて目が覚めた思いで、ワーホリのビザがまだ8ヶ月あまっていたのにもかかわらず、日本に帰って就職をする事に決め、夢をあきらめオーストラリアを引き上げて日本で初就職をしました。
でもあきらめきれない!
日本に帰国後、ホテルで就職をして、普通に日本での平凡な社会人ライフを送っていましたが、やはりテレビや雑誌で海外就職をして頑張っている人達の姿や向こうで暮らしている人達の映像などを見る度に、ため息の出る思いでした。本当に私はこれで良かったのだろうか?ちゃんと自分が納得いくまでやれることをやっただろうか?と…
三原さんとの出会い
インターネットを我が家にも導入して、オーストラリアでの現地の情報をよく見る日が続きました。
その時にビザエージェントのHPをいくつかピックアップ。その中にはもちろんレイカさんのHPも含まれていました。レイカさんのHPは他のビザエージェントの中でも、HP色使いの派手さ?(すいません…でも個人的に好きです。笑)でも目を引き、もちろんそれだけでなく充実した内容の説明や最新情報の豊富さに思わず、おお!と見入ってしまいました。取得された方の体験談から細かいポイントの説明まで、幅広く色々な情報を1度に吸収出来た気がしました。
いいアドバイスが頂けるかなと思い、レイカさんに査定メールを送りました。(実はその時に他社さんのエージェントにも(他2つ)査定をお願いするメールを送っていました。)しかしレイカさん含む3社とも、やはりポイントが足らないので、永住権は無理との事でした。。。ただ、三原さんのメールだけにはワードでの添付資料がくっついていて、この様にすれば今後永住ビザの申請の可能性ができますよ、という説明がわかり易くいくつか紹介されていました。
ただ、その教えていただいた数々のオプションは私には無理だろうなぁ、、、と思い、やはり日本でやっていこう。オーストラリアは1年に1度旅行で訪れようと、泣く泣くあきらめました。
ビザに新風!?
それから、1年半?2年位でしょうか?あまり覚えていませんが、時が流れました。そして、SIRというビザが出来ました。
実は私自信、そんなビザのカテゴリーが増えた事自体、全く知りませんでした。
何故このビザの存在をすぐ知る事が出来たのかと言うと、三原さんの方から「永住権にあと少しで届かなかった方々へ朗報!永住権に繋がる新しいビザカテゴリーが増えました、もしまだオーストラリアに永住を望んでいたら、今後何かのご参考になれば幸いです」という嬉しい新ビザの紹介・報告メールが届いていた事からでした。
やはり、あきらめきれていなかった私が、すぐに再度三原さんにSIRビザでの査定をお願いしたのは言うまでもありません。
その結果、SIRビザ申請は可能との事でした。ただ、私もその時点で既に29歳。30歳になってしまうと、年齢的なポイントが減るし、30歳まであと4ヶ月を切っていたので、申請をするのであれば8月の私の誕生日までに急がなくてはいけない、スピード申請となりました。
私自身も仕事をしていましたし、時間も限られていた中で三原さんからの的確かつ迅速な対応は今思い返してみても、とてもすばらしいものでした。
ご存知のとおり、ビザ取得までのステップは3段階。
1.スキルアセスメント
2.州からのスポンサーシップ承認
3.SIRビザ申請
となっていました。
2005年5月11日にビザ申請依頼をしました。それから私の30歳になる誕生日までに3ヶ月しかありませんでしたので、とりあえず、卒業した学校からの成績証明書、卒業証明書、等を集めることから始まりました。
大学の証明書は、すぐに手配できたのですが、高校の証明書取り寄せに時間がかかり、なかなかちゃんと三原さんの指示通りには書類を集める事が出来ませんでした。
短期戦だったので私には不安が多く、何度も三原さんにメールを送り質問をしまくってしまいましたが、そのたびに三原さんは土曜日だろうが日曜日だろうが、即座に冷静に分り易い回答を私にくれて(いつ休んでいるんだろう?なんて思うほどでした!)私も何とか心を落ち着けながら学校からの各証明書、他にも必要な書類を揃える事ができました。
特に大変だったのが、職務経歴書の収集でした。私は過去いくつかの職場にて働いていた経験があったので、過去に勤めた職場に連絡をして証明書を発行してもらうのが、一番大変だったように思います。何とか時間がかかりながらもこれも一応クリアーしました。
IELTS!
IELTSのテストは、オーストラリアで大学を出た私にも(恥ずかしながら)なかなか大変な項目のひとつでした。
日本に戻ってきてから3年半、ほとんど英語に接触はしていなかった事もあり、また、英語を読む、書く、話すなどに関しては、全く遠ざかっていたので、勉強をしなきゃ!!と切実に思いました。がしかし、IELTSに関しての勉強も受験の日がビザ申請を急いでいた為、すぐだったので(決して言い訳じゃありませんが・・・)ほとんど出来ませんでした。勉強するどころか、テストの申込み自体も地元の名古屋に間に合わず、土日を利用して大阪まで受験にいきました。
結果、やはりあまりよくなくWritingが5.5でした。(それ以外の3科目はすべて6以上取れたのですが・・・)
本来すべて6点以上ではないと英語力のセクションで20ポイントが取得できないのですが、私はIELTSのセクションが15ポイントでも、申請の年齢が29歳であれば、(誕生日の前の申請であれば)何とかギリギリSIRビザの申請が可能でした。ただ、最初の書類集めでつまずいてしまったので(ただでさえ時間のない短期間での申請がさらに時間がない申請になり・・)、誕生日前の申請は本当にかなりぎりぎりで、かなり危ない状態でした。現在システムが変わりましたが、以前IELTSは受験した後は、次の受験まで3ヶ月経たないと出来なかったので、次の受験になると、どうしても30歳を超えてしまう形になります。
私自身は、誕生日が過ぎてもいいので、すべての項目が6ポイント以上取れるまでIELTSを受け続けて、30歳過ぎてからでいいのでそれから申請をしますと三原さんに告げていたのですが、三原さんの判断はさすがでした。
なんと三原さんは、「オンライン申請を行うと郵送する時間が短縮できるので、オンライン申請でやりましょう。そうすれば、IELTSの結果もそのまま使えますよ。」と提案してくれたのです。私もオンライン申請?!とびっくりしましたが、三原さんを信頼しお願いしました。ただオンライン申請とは言えど、油断は一切許されないきわめて崖っぷちの申請になります。
それからは、まだ揃えていなかった書類をとにかく急いで揃え、JPGで画像にして三原さんに送信しました。
そして、オンライン申請がギリギリ間に合い、なんとか無事にSIRビザを取得いたしました。
これは本当に一重に三原さんの迅速で的確な判断無しでは、成し得なかったビザ取得になりました!
本当に感謝しています。
人生1度きりです。絶対に後悔はしたくないので行動をしてみたのですが、第1段階はいい結果になったと思います!回りの協力と自分自身で人生は変わっていくものですね。
これからの新しいオーストラリアでの生活は、実りの多いものにするかしないかはとにかく私自信、そして皆を動かす力だと思います!不安と期待で一杯ですが、自分なりに精一杯楽しんで、頑張っていこうと思います!
埼玉在住、ISさん(2005年4月取得
- SIR (Provisional) Subclass 495
私は2000年12月に25歳で初めてオーストラリアを訪ねました。それまで何度となくヨーロッパの国々を旅行したり、ときには生活をしてきましたが、「ここでずっと暮らしたいなあ」と思ったのはこの南半球の大きな国が初めてでした。
それはこの地での時間の流れ方、リラックスした空気がここちよく、すぐ近くに自然があり何歳になっても“Sense
of wonder”を感じることができそうなこの国で暮らしたいと強く感じたからです。
いつか永住ビザを取ろうと思っていたものの日常の忙しさの中で忘れてしまうことも多く、気がつくと独立移住ビザのパスマークは120点にまであがり、年齢ポイントの大きな分かれ目となる30歳の誕生日も、半年後に迫っていました。あせる気持ちで永住権取得の可能性について2つのビザエージェントにメールを送ったのが、私のSIRビザ取得のスタートでした。
永住権取得の可能性はなし
回答は両者とも「パスマークが足らず取得の可能性はない」というものでした。
ただレイカさんからの回答は、それ以外のオプションに関する情報がとても充実していました。回答書にはそれぞれのオプションについてさらにこちらで調べることができるように、各種公的機関のホームページにリンクが貼られています。
最初の回答にがっかりする間も惜しんで十分検討した結果、レイカさんにビザ申請代行をお願いし、サウスオーストラリア州のスポンサーを得て、SIRビザを申請、そこから永住権取得への道を目指すことにしました。
SIRビザ取得までには、「スキルアセスメント」→「州政府からのスポンサー承認」→「SIRビザ申請」と大きく3つの段階があり、これを誕生日までの実質5ヶ月の間に済ませなければなりません。
どなたかがビザ取得までの道のりは「ジェットコースターに乗っているようだった」と書いているのを読んだことがありますが、今振り返れば、私自身もとても楽しいハラハラ体験をしました。
山あり谷ありの体験
1つ目の山はIELTS。ボーナスポイントを取得するために、一回勝負で高得点を得なくてはならないということに加え、これに失敗すれば申請そのものができなくなるというプレッシャーを抱えての受験でした。
結果が出るまで、試験のことを考えると胃が痛くなる毎日を過ごしましたが、どうにか必要な得点を得ることができました。ビザが取得できたときよりも、大きな声を出して喜んだような気がします。
2つ目は、証明書の発行です。まだ勤務中の会社から雇用証明書を発行してもらうことが難しい方が多いとよく聞きますが、私の場合は大学からの証明書発行で最大の山を経験しました。
詳しい説明は省略しますが、電話で説明したり直接出向いて発行依頼をしたりしても、客観的に理解しがたい理由で「証明書の発行はできない」という回答が返ってきて、どうにも進まなくなりました。
三原さんと相談し、いくつかの代替案を検討し最終的には自分で証明するために公証人面前での書類作成まで選択肢に入れました。最終的には三原さんと大学教務部長との電話協議の際に、三原さんよりDIMIAの要求を詳細に説明していただき発行にこぎつけることができました。
この間2ヶ月ほどがかかりましたが、三原さんから「落着です」というメールをいただいたときには、全身の力が抜けるほど安心しました。
その他にも、以前英国に留学していたために英国警察からの無犯罪証明書が必要になったり、結婚してパスポートの姓を変更するにあたって、パスポートセンターから「有効期限が規定以上残っているので一度訂正変更している場合は新規発行できない」と言われたり、小さな山も次々と目の前にはだかりましたが、なんとかひとつひとつをクリアしました。
こうした中で三原さんと100通以上のメールをやり取りして感じたのは、「レイカさんのビザ申請業務委託は、当たり前のことをしてくれる」ということです。
当たり前のこと
三原さんはIELTSの試験前に「がんばってくださいね。あなたなら大丈夫ですよ。」などというメールは送ってきません。
また、こちらは一度ビザ申請を決意しても、時には気持ちが揺らいだり不安になることもありましたが、三原さんはそういったことに立ち入ってカウンセラーのように相談にのったりアドバイスをすることも一切ありません。
つまり、ビザ取得という最大の共通目的実現のためにだけ、持っているすべての知識と経験を使って黙々と仕事をしてくださるのです。
ビザ申請を委託しているのですから当たり前のことですが、意外と多くのエージェントが立場と役割をわきまえずに何の根拠もない情報を提供したり、時にはこちらの不安に付け込んで商売をしてくることもあるのではないかと感じました。
また三原さんの情報量と経験を提供してもらうことは、お金を出すに値すると感じる場面が多くありました。私のような山あり谷ありの取得過程は、程度の差はあれおそらくほとんどの方が経験されているのではないかと思います。
そういったときに、個別のケースに対して柔軟で確実な対応を図っていくには相当高い能力が必要だと思います。
例えば、私の大学からの証明書のケースでは、大学の主張を満たしつつ発行してもらえそうな代替案をすぐに提案してもらえ、さらに発行してもらえなかった場合のいくつかの代替案も提案されました。
こうした代替案は、これまでの申請者の様々なケースを踏まえて出されたものもあれば、移民法の解釈に基づいてDIMIAの要求をどう満たすことができるかを検討して出されたものもありました。
こちらとしては、このような素人には持ちえない能力に対してお金を払っているのですから当たり前のようではありますが、表面的な経験や解釈によってビザ取得の道が閉ざされてしまうことも多くあるように思えました。
私が最もレイカさんという会社を信頼したのが、州政府へのスポンサー申請を済ませ、「州政府からのスポンサー承認」から「SIRビザ申請」へと業務委託契約を進めようとしたときのことです。私としては誕生日が迫ってきている中で、どんどんと先へ進めたい気持ちがありました。
たとえ州政府からのスポンサーが得られず、次の段階のために支払った金額が返金されないとしても了解するので、契約をして書類作成を進めたいと伝えたのです。
それに対して三原さんからの回答は「ビザ申請基準を満たしていない時点での契約は法に抵触する可能性があるので、(レイカさんの判断としては)州からのスポンサーが取れ次第進めることになる」ということでした。
これはエージェントによって判断が異なる部分だと思いますが、冷静になってみると、とても納得のいく回答でした。法にのっとり、誠実にクライアントに対応していると感じられたからです。
この時点で三原さんの頭の中では、このスケジュールでいけば期限内に申請をすることは可能だろうと想定されていたのではないかとも思いますが、その上でこうした判断をきちんとされていることに大きな信頼を寄せるようになりました。
このようなポイントは、大きなお金を受けとって業務代行をするビザエージェントとしては当たり前のことかもしれません。ただこの「当たり前のこと」を完全に実行してくれるエージェントは実はあまり多くはないのではないかとも思います。
私の友人がもしもオーストラリアのビザを取得したいと言えば、まずレイカさんを紹介したいと思っています。
SIRビザから始まること
どこにでも住むことができる自由な永住ビザは取れませんでしたが、SIRビザを取得することがなければおそらく住まなかっただろう土地に出会い、人に出会い、新しい経験をしていけると思うとワクワクしています。
近いうちに渡豪しますが、だれでもスタートは一緒だとも感じています。最初の夢をつかむために、これから楽しみながら一歩ずつ山も谷も越えていきたいと思っています。
大阪市在住、SKさん(2005年1月取得
- SIR (Provisional) Subclass 495
はじめに
この度2004年7月に新たに施行されたSkilled Independent Regional(Provisional)カテゴリーでのビザを2005年1月21日付けでGrant letterを受け 2月5日に東京の大使館よりビザシールを貼られたパスポートが戻ってきました。学生時代にワーキングホリデーでオーストラリアを訪れてから15年の月日が流れまし た。
私について
現在35歳(ビザ申請時34歳)、某旅行会社勤務、(営業職)、4年制大学卒業
妻について
現在36歳 (ビザ申請時35歳)、某旅行会社勤務、(内勤)、4年制大学卒業
というふうに、ごく一般的な社会人で、技術ポイントは50ポイントでのビザ取得で
す。技術系の大学でもなく、また職業も文系ですが34歳までなら配偶者ポイントとIELTS
で20ポイント確保できれば永住権への道が広がります。
きっかけ
このHPをチェックしている方でも多いとは思いますが、学生時代にワーキングホリ デーでオーストラリアに滞在経験があり、その後も就職先が旅行会社であったことからオーストラリアには添乗で度々訪れることがあって永住をぼんやりと考え 出し、様々な情報を収集する中で可能性を感じたことがきっかけです。
しかしながら昨年7月まではどんなに頑張っても自分の職業では50ポイントしか獲得できないのでIELTSで20ポイントを獲得してもSkilled Independentの合格ポイントには達することは無理で、NZへの移住を考え始めたらいきなりIELTSのハードルがオーストラリアより高くなった り、ビザ発給自体もある一定の期間の申請者からポイントの高い順番に選抜されることに変更になったり、自分の行く手に壁が立ちはだかることばかりでした。
本日まで三原先生と直接会話を交わしたのはビザ申請に入る前の段階での電話での会話 1回のみで、あとは全てメールのやりとりです。恐らくビザエージェント選びで悩んでいる方は、レイカさんと他のエージェントのHPを比べて情報を確認しているかと思います。
問題点
2004年7月からこのSIRビザ制度が新しく施行されたのですが、私は2004年の9月25日に
は35歳になってしまいます。
また、幸いにも2003年に受けていたIELTSの有効期限(ビザ申請の場合は1年間)が9月19日ということで、スキルア
セスメント申請・取得→州政府スポンサーシップ申請・取得→SIRビザ申請と、わずか2ヶ月弱という時間との戦いでした。
ここで三原先生とは34歳のうち にビザ申請できるか、時間切れになるかもしれないことも覚悟の上で申請手続きを進めることに理解していただき、2004年7月21日に着手となり、さらに
費用に関しても2段階で引き受けていただきました。
IELTSを受験していた理由は、このビザカテゴリーが 新設される前は自分自身の状況ではいくらがんばっても115ポイントには達することが不可能ということが判明していたのでNZでの永住権取得も視野にいれ ていました。
経過
このビザのステップは
1 SOL 内職業での技術認定
2 州政府のスポンサー獲得
3 DIMIA へのビザ申請
と大きく分けて上記の3ステップでした。
私達はこの3ステップを三原先生の力をお借りして、7月末〜9月初旬の約2ヶ月で完了することが出
来ました。(完了出来なければ年齢ポイントが下がり申請自体が不可になるため、仕事もさぼりながら集中的に必要書類収集と作成作業を進めました)
9月9日 DIMIAへの申請
9月10日 DIMIA
申請受理
申請が受理されてからは健康診断受診の依頼など最終段階の必要書類提出がDIMIAから指示されました。
準備しておいた方が良いもの
履歴書:日本語、英語の両方が必要です。
英語力
この部分のみが自分で努力してポイントを稼ぐことが出来ると思います。私にとってはWRITING
が一番難しかったのですが、ブリティッシュカウンシルで夏期講習を受けてコツをつかみました。
他のセクションはテキストなどを活用して独力である程度勉強
可能ですがWRITINGは文章の定型句などをしっかり活用して作文すれば得点がアップしますので、IELTSがあと少しの方はブリティッシュカウンシル
のIELTS集中コースを受講してみるといいと思います。
得点をアップさせるコツを教えてくれます。ちょっとしたことですが知らずに受験する よりはお勧めです。
費用について
ここも気になる部分ですね。それぞれの立場によりかかる費用が変わってくると思いま すので詳細は依頼前に具体的な金額の提示があると思います。私の場合は他のビザエージェントにはまったく相談していませんので高いか、安いかはわかりませ ん。
最後に
ビザ取得の可能性を考えれば考えるほど悩むと思います。でも悩んでいてもビザは取得 できないので取得してから悩んだ方がいいのでは?と思い行動を起こしました。
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